微笑み
太陽はずいぶん上がり、朝も半分が過ぎた。
「じゃあ、僕らはもう帰ります」
ニコルがそういった。
「君たちには、ずいぶんお世話になった。気を付けて帰ってくれ」
ファイヤスターが返す。
ニコルとホーリーナイトが、ファイヤスターに会釈する。
「スクワーレルフライト、二匹をなわばりのはずれまで送って行ってくれ」
スクワーレルフライトはうなずいた。
が、ニコルが首を振った。
「いいえ、そこまでしてくださらなくても結構です。僕らは、結構長い間ここにいさせていただいたので、なわばりのことは分かります」
ファイヤスターは少し心外な顔をして、答えた。
「分かった」
「でも、キャンプの外までは送っていかせて」
スクワーレルフライトはニコルたちにそういった。
「いいのかい? ありがとう」
ニコルは笑った。
ニコルとホーリーナイトは歩き出して、スクワーレルフライトもともに歩き出した。
「リーフプールには、もうお別れはいったの?」
「うん、ファイヤスターに挨拶する前にいって来たよ」
キャンプの入り口までは、すぐにたどり着いた。
「スクワーレルフライト、見送りありがとう」
ニコルがスクワーレルフライトを振り返って言った。
「ここでいいよ」
その言葉に横でホーリーナイトがうなずいた。
スクワーレルフライトははっと思い出した。
「ごめんなさい、ちょっと、待ってて!」
そういって、戦士部屋へ駆け戻った。
ニコルとホーリーナイトが後ろで怪訝な顔をしていた。
息を切らしてスクワーレルフライトは戻った。
「ごめん…なさい! これを渡したくて」
そういって、加えてきたものを落とした。
それは、狩りに行ったときに〈二本足〉の家で拾った、濃い青色の布だった。
「これは?」
白と黒の二匹は首をかしげた。
スクワーレルフライトは息を整えながら答えた。
「これ、ホーリーナイトにと思って」
「なんだ、僕にじゃないのか」
ニコルが冗談で笑った。
スクワーレルフライトは取り繕った。
「あ、えと、ごめんなさい」
ニコルは笑って首を振った。
「気にしないで。冗談だよ」
ホーリーナイトがスクワーレルフライトを見た。
「どうしてこれを俺に?」
「ホーリーナイト、いつも首に布に大切なものをいれて巻いているでしょ?」
そういって、紺色の布を尻尾で指す。
「それで、この間偶然この布を見つけたから、この地の思い出として、あげたらどうかなって思って」
ホーリーナイトは目をまんまるくした。
「俺のためにか?」
そういって青い布を加えあげた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
スクワーレルフライトはほっとした。
喜んでくれたようだ。
その時、ニコルがホーリーナイトを見て意味ありげに笑っているのが見えた。
なぜだろう?
ホーリーナイトは、ホワイトスレットとの戦いで一度破けた(今は破れていないが)オレンジ色の布を、ほどきはじめた。
「どうしたの?」
質問してから気づいた。
そうか、もうつけてくれるのか。
ホーリーナイトは返事をせず、器用にほどき、中身を丁寧に取り出すと、紺色の布につつんだ。
そして再び紺色の布を器用に首に巻いた。
「ホーリーナイトって器用なのね」
スクワーレルフライトはつぶやいた。
ホーリーナイトは首に巻いた布の位置を直しながら答えた。
「俺たちの国の猫は、これくらいのことはできる」
「よし、もうそろそろいかないと」
ニコルが言った。
スクワーレルフライトははっとした。
「そうね、太陽がこんなに昇っちゃってる。ごめんなさい、ひきとめて」
ニコルは機嫌よく尻尾を振った。
「いや、かまわないよ」
ホーリーナイトはゆっくりと尻尾を振っていた。
「それじゃあ、僕たちは行くよ。本当に、色々とお世話になった。ありがとう」
二匹は、スクワーレルフライトに背を向けた。
「ちょっと待って」
スクワーレルフライトは声をかけた。
ニコルが振り返る。
「まだ何かあるのかい?」
「ううん、ただ、言いたいことがあって」
そういっていったん止めた。
「二匹がここにいるあいだ、本当に楽しかった。ありがとう」
話していると、涙が出てきそうになった。
涙をこらえようとするせいで、声が震える。
「…サンダー族のことや、リーフプールや…私のことを忘れないでね。…私も、ホワイトスレットから森の部族猫を救った猫としてあなたたちのことを語り継ぐわ」
ニコルは微笑んだ。
「語り継ぐなんて、そんな大げさなことしなくていいよ」
ホーリーナイトも振り返り、初めてあったころよりも上手な言葉で言った。
「俺たちもこの紺色の布と、ここで出会った猫たちを忘れない」
そして、地面に置きっぱなしにしてあったオレンジ色の布を尻尾でさした。
「その布は、ここに置いていく」
「ありがとう」
スクワーレルフライトはオレンジ色の布を拾い上げた。
「これで、本当にお別れだね」
ニコルが再び微笑んだ。
「でも、永遠の別れではないかもしれない」
ホーリーナイトは無言のまま、遠くを見つめていた。
スクワーレルフライトは微笑んだ。
「そうね。また、会える日が来ることを楽しみにしてるわ」
ニコルがいった。
「僕たちも」
「それじゃあ、またね」
そういって、再びスクワーレルフライトに背を向け、ニコルは歩き出した。
ホーリーナイトも背を向ける。しかし、少し歩くと、振り返った。
「またな」
スクワーレルフライトは少し驚いた後、返事を返した。
「またね」
二匹はもう、再び振り返りはしなかった。
スクワーレルフライトは、二匹の姿が茂みに隠れて見えなくなるまで、二匹の後姿を見ていた。
自分は、あの猫たちのことを忘れることはないだろう。
この、オレンジ色の布とともに。
この森を脅威から救ってくれた猫たちを。
思い出してみると、自分はホーリーナイトのことが好きだったのかもしれない。
しかし、あの猫はもうここにはいない。
自分の想いが実ることはないだろう。
ホーリーナイトたちが生きる場所と、自分たちが生きる場所は違うのだから。
ただ、この短期間だけ重なっただけだ。
ニコルもホーリーナイトも、本当にいい猫たちだった。
本当に心の底から、サンダー族に仲間入りしてほしいと思っていた。
それがかなわないことだと分かっていても。
スクワーレルフライトは二匹の姿が消えた茂みから目を離し、キャンプへ帰るために立ち上がった。
そして、忘れずにオレンジ色の布をくわえていく。
心の中に、ニコルが見せた優しい微笑みと、ホーリーナイトが最後に見せた初めての顔が強く残っていた。
あの時ホーリーナイトは、温かく微笑んでいた。